美智子さまが意地悪された人意地悪した人?美しすぎる若い頃の画像!

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出典:https://okboook.com

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上皇后美智子さまの真実を知りたい!意地悪された人は誰?意地悪した人なんているの?私たちが知らない、美しすぎる若い頃の画像も拝見したいですね。美智子さまが意地悪された人や意地悪したと噂になった理由、美しすぎる若い頃の画像などを調べました。

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美智子さまのご実家は?

美智子様のご実家は、大企業日清製粉です。

同時に、正田醤油という企業名を耳にすることがあります。

美智子様の祖先は、群馬県の舘林市にお住まいでした。

美智子様の旧姓が正田姓であるとおり、正田家の当主は正田文右衛門という名前を受け継いで、江戸時代から米問屋を営んでいたそうです。

米を扱っていたということもあり、明治に入ってから、地元群馬で醤油製造もおこなうようになりました。

この醤油業が正田醤油です。

正田醤油は正田家の本家筋の人間が経営していました。

智子様の祖父がは分家の出身で、日清製粉を創業した方です。

つまり、正田醤油というのは正田家の本家筋、日清製粉は美智子様の祖父が創業した会社ということです。

正田醤油と美智子様にはこうした関係がありました。

本家筋の正田醤油も、地元舘林では有名で、筆者が仕事で館林市に出張した際、美智子さまのお名前が今も住んでいる方々の話題になっています。

ご成婚当時は、皇室に嫁ぐにはやはり皇族か華族出身の人ではないとという時代。

一般人だった美智子様が皇室に嫁ぐことは異例でした。

美智子さま「テニスコートの恋」って?

今でもご年配のご婦人にお話を伺うと、少女のような表情で話してくださいます。

「テニスコートの恋」。

上皇ご夫妻のご成婚のキーワードです。

上皇さまと美智子さまが初めて出会われたのは、1957年8月です。

軽井沢に家や別荘をお持ちの方々の「軽井沢会」主催のテニス大会でした。

「テニスコートの恋」の始まりの、世紀の試合。

大会2日目。上皇さまと早大の男子学生のペアが、美智子さまとカナダ人の13歳のボビー・ドイルさんペアと対戦しました。

結果、美智子さまのペアが2対1で勝たれました。

試合中、美智子さまのショットは正確で、ドイルさんにも的確なアドバイスをされていたそうです。

美智子さまは、関東学生新進テニス選手権大会で優勝されたこともあり、テニスのお腕前は相当なものだったようです。

試合後、上皇さまは「あんなに粘り強く正確に返球されたらかなわないね」とおっしゃいました。

その後、上皇さまと美智子さまはテニスを通じて親交を深められました。

ご成婚後のお写真です。出典:https://www.pinterest.jp

翌58年、5月の宮内庁の会議で美智子さまが皇太子妃候補に決まり、マークされるようになりました。

正田家にとって皇室は想像もできない嫁ぎ先です、

一度は結婚をお断りになられたとの話もありました。

9月初め、美智子さまは、聖心女子大学卒業生の国際会議の日本代表として海外へ旅立たれた。

10月26日のご帰国後から、上皇陛下は美智子さまに電話でアプローチをなさったそうです。

とは言っても、陛下が東宮仮御所から正田邸へ直接電話を入れると、どなたがお電話に出るかもわかりません。

ご迷惑をかけてはいけないというご配慮から、まず、上皇さまは知人(織田和雄さんとおっしゃるそうです。)の電話を介して、美智子さまからお電話をくださるようお願いしていたそうです。

ほとんど毎日、20日間くらいお電話なさったそうです。

現在ならスマホがありますが、当時は黒電話(ダイヤル通信)の時代です。

上皇さまのお立場では、簡単にお電話なさることもできなかったのですね。

11月8日の夜、上皇さまはその知人の方に「あまり、うまくいっていない」打ち明けられだそうです。

その方は「世間では、柳行李(やなぎこうり)一つで来て下さい、というプロポーズの言葉があるんですよ」とお話しなさったとか。

昔の素敵なプロポーズの言葉だったのでしょう。

上皇さまはしばらくお考えになると、1時間くらいの長い電話を。

お電話のあと、上皇さまは顔を紅潮させておられたそうです。

いいお返事をいただけたのでしょうね。

正式に婚約発表されたのは11月27日。

半年後の59年4月10日にご成婚の運びとなりました。

上皇さまは子供の頃、両親とは別のところに住み、週末だけお会いになるという生活を送っておられました。

美智子さまは将来を見据え、浩宮さまや秋篠宮さまがお父さまから帝王学を学ぶのが一番いいと考えられ、家族が一緒に住むようにされました

ご夫妻がご自分たちでお育てになったわけです。

これは、それまでの皇室の歴史を変えたことになり、そのために美智子さまへの圧力もあったそうです。

また、「テニスコートの恋」は嘘だ、本当は準備されてのことだった、という雑誌記事もあったそうです。

なぜかというと、上皇さまご成婚の頃は、恋愛結婚よりもお見合いの方が上等で、家柄の良い方はお見合い結婚するのが当然だと考えられていたからだそうです。

60年ほど前の日本の常識は、ずいぶん違っていたのですね。

出典:https://gendai.ismedia.jp

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美智子さま 美しすぎる若い頃

美智子さまのお若い頃のご容貌は、美しすぎです!

お年を召すに従って、当然ご容貌は変わられましたが、筆者の祖母は「ご苦労なさったからだ」とよく話してくれました。

聖心女子大学を主席でご卒業なさった美智子さま。

学生時代、制服の上着のウエストを、こっそり細くしてお召しになっていたとの、乙女エピソードがあるそうです。

出典:https://dricho.com

ご成婚なさって、ますます美しさが輝くようでいらっしゃいます。

出典:Twitter

調べていて、筆者が素敵だなあ!と感激してしまったお写真です。

お子様を持たれてからは、お優しさがにじみ出るようですね。

出典:sakujisakujiさんの記事

出典:https://www.multilingirl.com

美智子さまが意地悪された?

何もかもが慣例どおりではなかった、上皇さまご夫妻のご結婚や子育て。

当然、周囲からの抵抗があったのでしょうね。

調べてみると、いくつかエピソードがありました。

皇太子妃決定の記者会見でのこと。

美智子さまはVネックに七分袖の象牙色のドレス、白い鳥羽根の輪の帽子、ミンクのストールと、初々しさにあふれる装いでした。

出典:https://dricho.com

ところがドレスに合わせた手袋が、手首とひじの中間までの長さでした。

「正装であるべきこの日、手袋はひじの上まで届くものでなければならない」

早速、宮中からクレームが入りました。

けれども、この手袋は美智子さまが用意したものではありません。

東宮御所から届けられたものでした。

何らかの意図が働いていた、と思うしかありません。

これが有名な「手袋事件」です。

皇室に入られた美智子さまのお側に仕える女官長は、秩父宮勢津子さまの母・松平信子さんが推挙した、牧野純子さん。

信子さんは、女子学習院のOG会である常磐会(ときわかい)の会長でした。

常磐会は、明治以来、皇族妃・元皇族を中心にした組織で、皇室内における力は絶大なものがあったそうです。

この常磐会を中心に、平民からプリンセスになった美智子さまに対して反対運動が起きていたそうなんです。

信子さんの懐刀である牧野女官長と美智子さまは、早々からなじめませんでした。

ただひとり宮中に嫁いだ美智子さまは、東宮御所にいても、肩の力を抜く暇もなかったといいます。

あるとき、美智子さまが礼儀作法について、彼女に尋ねると、こうはねつけられたとか。

「それくらいは、ご自分でお考えになってください。

妃殿下になられて、もう何か月にもおなりになったのですから」

牧野女官長の冷ややかな態度は日々増していき、美智子さまは孤独にお悩みになりました。

「美智子妃いじめ」は静かにエスカレート。

1960年2月23日、待望のお世継ぎ・浩宮徳仁親王(今上陛下)を出産された美智子さま。

退院の際、車に乗られ、浩宮さまを抱かれた美智子さまは、待ち構える報道カメラマンへの気配りで、窓を半分開けられました。

例によって宮中からクレームが。

「皇室には伝統があって、妃殿下が人前で赤ちゃんを抱かれることはない。

その上、生まれたばかりの赤ちゃんをストロボにさらすとは…。

第一、窓を開けて風邪をひいたらどうするのか。」

この約半年後に行われた会見で、美智子さまは次のようにお話になりました。

「難しいと思うこともあるし、つらいこともあります。

いつになったら慣れるのか、見当がつきません。

ときには、八方ふさがりのような気持になることもあります」

常磐会の反対運動をきっかけに始まった、「美智子妃いじめ」は続きます。

しかし、美智子さまはプリンセスとしての自覚と気品を失うことはありませんでした。

数え切れない誹謗、中傷に対しても、一切反論されることはなかったそうです。

上皇さまとお子さまがたへのひたむきな愛情。

お立場をわきまえた、ひかえめなお姿に、古き良き時代の高貴な奥方さまのイメージを持たれた方も少なくなかったようです。

一般の方々は、美智子さまのお味方。

そして、上皇陛下の深い愛情が美智子さまをお守りになったのでしょうね。

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美智子さまが意地悪だという中傷!

こういうツイートが、いまだに多く寄せられています。

なんと、ゲームキャラに「美智子さま」、武器が「血まみれの扇」。

関係ない、といわれればそれまでなんですが。

代替わりの際も、雅子さまはこれまで美智子さまにいじめられ続けてきた、というツイートが多数上がりました。

美智子さまは以前からインターネットを利用なさっています。

美智子さまがネット上の心ない誹謗中傷の数々をご覧になっていることが心苦しいです。

雅子さまは’03年12月に帯状疱疹を発症され、長い療養に入られた時、今上陛下は会見で、

「皇太子妃という特別な立場から来るプレッシャーも、とても大きなものだったと思います」

と述べられました。。

雅子さまにとって、美智子さまと比べられることも大きなプレッシャーになっていたのでしょう。

しかし、美智子さまも、苦悩を抱える雅子さまに寄り添えないことに、お心をいためていらっしゃったはずです。

適応障害にかかられた雅子さまに、当時美智子さまは「東宮妃の回復を願い、助けになりたい」と会見でお話になりました。

しかし、実際には一時期、雅子さまと美智子さまは疎遠になってしまったそうです。

上皇陛下が「愛子と会う機会も限られ、残念。」と会見で語られるほど。

当時、美智子さまは知人に「今は、ただ待つしか無いのよ」と苦しさを語られていたそうです。

誹謗の矛先が美智子さまに向いてしまった背景には、皇后となられた雅子さまの「著しい復活」があると皇室担当記者がのべているそうです。。

天皇陛下が即位して以降、雅子さまは数々のご公務をパーフェクトにこなされています。

これほど急激なご快復は、雅子さまをいじめてきた美智子さまが表舞台から身を引かれたからに違いない、という憶測があるというので、驚きです。

でも、考えてみてください。

美智子さまは皇太子妃になられて以来、皇室のしきたりの中で大変な思いをされてきました。

先述のように、「いじめ」に近い体験もなさったはず。

ご自分がやられておつらかったことを、雅子さまになさるはずがないと思いませんか?

祝賀パレード延期も美智子さまのご意向?

「週刊新潮」2019年10月31日号に、次のような内容が掲載されました。

祝賀パレードの延期について、政府は「国民感情に配慮して内閣が決めたと発表しています。

しかし、パレードの当事者であられる両陛下、さらには美智子さまのご意向が強く反映されていたというのです。

10月15日、天皇皇后両陛下は、依然として多くの方の安否が不明であること、数多くの方々が被災されていることに大変心を痛めていらっしゃいました。

また、20日にお誕生日を迎えられる美智子さまが、ご自身に関する祝賀行事などすべてを中止するとも発表なさいました。

今上陛下は、台風の被害のご心配をなさっていました。

その前後で陛下から「どのような形で(パレードが)進められるか検討してみてください」というご意向が侍従に伝えられ、宮内庁と官邸とが協議することになりました。

ただ、ここで大きな力となったのが、上皇后さまの強い「お気持ち」だったというのです。

かつて上皇さまとお二人であらゆる被災地を訪れ、被災者に寄り添ってこられた上皇后さまからすれば、祝いごとの中止は当然です。

ご自身の代であれば、直ちに被災地へ駆けつけられても不思議ではありません。

そんな「平成流」を知る宮内庁職員は、パレードをこのまま行えば、今上陛下が上皇さまと比較されてしまわれないか、と危惧したということです。

祝賀パレードもまた、国事行為である「即位の礼」の一部です。

行為の主体は陛下ですが、憲法には「内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」とあるそうです。

それでも、今回は両陛下、ひいては美智子さまの強いご意思のその通りに進めるしかない、という安倍政権の判断だということです。

ここには、別の懸念が生じかねないといいます。

今回は、天皇皇后両陛下のご心配よりも、お誕生日の祝賀中止とあわせて美智子さまの強いご心痛がクローズアップされてしまいました。

結果的に今なお、上皇ご夫妻、特に美智子さまのご意思が強い影響力を持っていることが露わになってしまった、ということです。

何事を行うにも「平成流」と比べられかねない今上陛下ご夫妻。

こうした状態が続けば、雅子さまのご体調に影響が出かねない、と記事にはあります。

療養中には、実父の小和田恆元外務事務次官からも、

「今を耐えれば、ゆくゆくは皇后になる時代、あなたの時代が来るのですから」

といった趣旨の励ましを受けられていたという雅子さま。

万が一にも「二重権威」になれば、雅子さまに影響が出る、という文脈でした。

ただ、こうした状況は、上皇さまが生前退位なさるときから当然予想されていたことです。

歴史上には、天皇以上に権威を振るった上皇もたくさんいらっしゃいました。

内閣や宮内庁が「生前退位」に慣れていないだけではないでしょうか。

国民は、そんなことを考えてはいないと思います。

次項もそうですが、何かと言えば美智子さま対雅子さま、という構図にしたがるマスコミにも責任があるのでは?

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美智子さまが雅子さまのお手伝いを拒否?

こんな報道もありました。

吹上仙洞御所にある品々の多くは、歴史的文化的にも貴重な逸品です。

一般の宮内庁職員には荷物の整理が出来ません。

そんな状況を見かねて、雅子さまがお引っ越しのお手伝いを申し出られたそうです。

けれども、美智子さまは「こんなことに皇后陛下の手を煩わせるわけにはいかない」と大変強い語調で仰って、雅子さまの申し出を断られてしまったということです

美智子さまは、全ての仕分け作業をご自身の手で行おうとお考えのようで、退院直後には連日、長時間作業に取り組まれていらっしゃいました。

しかし、あまりにもお荷物が多く、年内のお引越し作業の完了は絶望的だろうとご心配する宮内庁職員も多いそうです。

二重権威が不可思議な噂を生まないためにも、早急なお引っ越しが必要だと言うことです。

ただ、記事には誇張があるようにも感じます。

強い口調でおっしゃった、というのは、雅子さまのご体調をご案じになってのことですよね。

それでなくとも、ご療養から皇后の激務に就かれ、ご体調が心配される雅子さま。

上皇ご夫妻のご家庭のことにお手を煩わせるわけにはいかない、というご高配ではないでしょうか。

出典はこちらです。

https://kikunomon.news/article/14785

美智子さま 美しすぎる若い頃と意地悪の噂 まとめ

  • お若い頃の美智子さまは美しすぎ、上皇さまとの恋愛結婚が素敵だった。
  • 美智子さまは、初の民間からの皇太子妃で、様々な苦労をなさってきた。
  • 同じ立場の雅子さまに意地悪をされるはずがない。
  • 代替わりに際してまで、二重権威を心配するのはいきすぎだ。

宮中といえば、私たちにはわからないことだらけです。

おそらく想像もつかないご苦労をされてきたであろう美智子さま。

なるべく早くゆっくりなされる環境をお整えして差し上げたいものですね。

皇室に関して、いくつか記事をまとめさせていただいております。

よろしければお立寄りください。

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愛子さま2019の真実裏と悠仁さまの目つき!女性天皇の選択肢ない?

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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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