天皇陛下と雅子さまのなれそめとプロポーズ!仲良しご夫妻の秘話は?

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出典:https://honne-channel.com

天皇陛下と雅子さまのなれそめをご存じですか?ご交際の経過や、頼もしいプロポーズのお言葉!知性溢れる、理想の仲良しご夫妻です。今こそ知っておきたい天皇陛下と雅子さまのなれそめや、プロポーズ。仲良しのおふたりの過ごしてこられた日々についてまとめました。

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86年10月18日に来日された、スペインの国王カルロス1世の長女・エレナ王女を迎えた東宮御所での歓迎パーティーに、雅子さまのご一家が招待されました。

皇太子さまは26歳、雅子さまは22歳でした。

表向きは小和田条約局長令嬢。

けれども、本当は「将来のお妃候補」として招待されていたようです。

事前に雅子さまのことを聞いていた皇太子さまが、実際にお会いになって好感を持たれたということです。

その後、何度もおあいするうちに、おふたりは着実に交流を深めていらっしゃいました。

1986年11月、寛仁親王が名誉総裁を務める日英協会主催のパーティーにおふたりが参加なさいました。

1986年12月、東宮御所で催された内輪の茶会(年越し会)に小和田家が招待されました。

1987年4月、日英協会のパーティーに同席されました。

1987年4月、高円宮家の宮務官から電話で招待され、赤坂御用地高円宮邸の茶会に雅子さまがご出席。(ほかにも数名のお妃候補が招待されていました。)

1987年10月24日、東宮御所の夜の茶会に雅子さまが招かれました。

1987年12月9日、雅子さまの24歳の誕生日に、今上陛下からの花束が、小和田邸に届けられました。

1991年9月、東京芸術劇場で開かれた中村紘子さんのチャリティーコンサート。

打ち上げの席に、高円宮さまが雅子さまとお母様を招待なさいました。

1992年8月16日、柳谷謙介さん宅でお会いになりました。

今上陛下サイドから、計画的に雅子さまを誘っていらっしゃったのがわかります。

おふたりの出会い(秘話)は?

公式では、天皇陛下と雅子さまの出会いは1986年10月と。

しかし、本当はそれより前にお会いになっていらっしゃったそうです。

1984年、二度にわたる極秘のフランス旅行を敢行されたということ。

1984年の9月と12月、今上陛下と雅子さまは、ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市に、お忍びで訪れていらっしゃいました。

おふたりがその時、交際していらっしゃったのか。

その後、自然消滅してしまわれたのかは不明です。

なぜこの事実が公表されていないのかは不明です。

皇室や宮内庁が、雅子さまがお妃となられることに積極的でなかったのかもしれませんね。

雅子さまはもともと、「良家出身のお妃候補」ではありませんでした。

おふたりの出会いとされている、1986年10月のパーティー直前、写真週刊誌「FOCUS」10/17号で『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さまの特集が組まれていました。

パーティー当日の出席者名簿には、雅子さまの名前が急遽書き加えられていたとか。

しかも手書きで。

なんらかの(良い意味での)p;

天皇陛下は雅子さまに一目惚れ!

将来の天皇として、お小さい頃から結婚相手が話題になっていた今上陛下。

14歳の頃からお妃候補の報道が上がっていたそうです。

学習院大学の同級生も、女性との交流の場(コンパ?)をセッティング。

周囲の人たちは、将来の皇后探しに躍起になっていたんだとか。

ところが、実際には女性たちは尻込みしてしまい、皇太子さま(当時)に近づくことはなかったそうです。

宮内庁は、お妃候補として旧皇族、旧華族から学習院関係者等の人脈を押さえていたようです。

けれども、今上陛下ご本人は、民間からの相手を望んでいらっしゃいました。

お母様の美智子さまが民間出身でいらっしゃいますしね。

今上陛下は大学時代、理想の女性像は「控え目だけれども、芯がある人」と語っていたそうです。

記者会見で質問されたときには、こう語っていました。

自分と価値観や金銭感覚・趣味や関心が合い、家柄や身長云々よりも世間知らずでなく他人の心が分かり、人の苦しみや悩みを推し量ることができる、必要な時には自分の意見をしっかり言える女性が理想です。

とはいえ、現実はなかなか当時の皇太子さまにと堂々とお話できる女性とは出会えずにいらっしゃいました。

一方、1986年のエレナ王女のお茶会で今上陛下にお会いした雅子さま。

「浩宮さまって、そんなにおえらいの?」

さすがに今上陛下に直接ではなく、母方の祖母におっしゃったと言われていますが…なかなかの大物です。

今上陛下は、そんな雅子さまに一目惚れなさったといいます。

超大物で、周りから恐れられていた男子が、臆せずに接してくる女子に一目惚れ…!
物語のようです。

ただ、当時の雅子さまは外交官試験に合格なさったばかり。

これからの仕事に意気込んでいた頃です。

新聞のインタビューでは、合格について次のように話していらっしゃいます。

外務省から内定をもらったとき、これで自分は結婚できないかもしれない、とも…。両立させたいですね。

まさか、皇后陛下になられるとは…。

キャリア時代の雅子さま 出典:https://dricho.com

天皇陛下の情熱的なアプローチ!

1989年1月、昭和天皇がご崩御。

時代は昭和から平成に変わりました。

皇太子となった今上陛下に、マスコミが再び殺到しました。

今上陛下に「理想の女性に出会えましたか?」という質問が何度も。

今上陛下は「理想の女性に会えたかもしれないし、会えなかったもしれない。」とお答えになりました。

実は、まだ雅子さまのことがお心から離れなかったのでしょうね。

宮内庁長官には「やはり雅子さんでなくては」と話されていたそうです。

1992年1月、今上陛下は東宮関係者に「小和田雅子さんではだめでしょうか。」と伝え、再度お妃候補として進める計画が始まりました。

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天皇陛下と雅子さまの結婚には障壁があった!

今上陛下と雅子さまの結婚には、多くの反対がありました。

宮内庁の方々や、当時まだご存命だった昭和天皇が反対されていました。

理由は、雅子さまのお家柄。

陛下の結婚相手となる方については、宮内庁が家柄などを調査します。

その結果、雅子さまの母方の祖父・江頭豊さんが、水俣病の原因となったチッソ社の社長であることが判明したそうなんです。

「世紀の企業犯罪」と呼ばれた水俣病(公害)。

宮内庁は、雅子さまとの縁組を断念するよう陛下をご説得したそうです。

一度は断念なさった今上陛下。

天皇陛下との結婚について、雅子さまの元には連日マスコミが押しかけました。

この頃、雅子さまは外交官として仕事をされていました。

しかし、報道が過熱。

心身ともに疲れ切ってしまわれました。

マスコミから逃れるように、雅子さまはイギリスへ旅立ちます。

1988年、外務省の在外研修生としてイギリスのオックスフォード大学に留学することを決められました。

留学をきっかけに、今上陛下との連絡も取らなくなったそうです。

マスコミは、雅子さまをイギリスまで追いかけ、取材しました。

雅子さまは、「とにかくお妃候補には関係していませんし、外務省もやめるつもりもありません。」と宣言。

おふたりは完全に破局してしまったかにみえました。

天皇陛下のプロポーズが素敵すぎる!

帰国なさった雅子さま。

どうしても雅子さまを皇太子妃になさりたかった今上陛下は、前出の柳谷謙介さんを介して、毎日のようにお電話をなさったそうです。

このあたりの事情は、別記事に詳しく書かせて頂きました。

雅子さまの病状の現在・適応障害の原因は?令和流ファッションも注目!

そして、おふたりが会えるようにセッティング。

1992年10月3日、マスコミに嗅ぎつかれないように、ワンボックスカーに乗り込んだ今上陛下。

毛布や段ボールでご自身をお隠しになり(毛布を被られたのでしょうか…)、千葉の宮内庁新浜鴨場へ向かわれました。

「わたくしと結婚してくれますか?」

すばらしい行動力ですね!

今上陛下は、雅子さまの外交官というキャリアもお考えになり、こんな言葉をかけたそうです。

「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはないはずです。」

この時、雅子さまのお心にはまだ迷いがあったらしく、即答はなさいませんでした。

雅子さまは、一時は他の男性との結婚を考えた時期もあったそうです。

けれども、父親の小和田恒さんは、諦めずに声をかけ続けたとも言われています。

そして、千葉宮内庁新浜鴨場でのプロポーズ。

今上陛下のまっすぐなお言葉やひたむきなお人柄に、雅子さまは心打たれたようです。

当時は外務省でも女性の社会進出への風当たりが強く「女性は課長以上に出世できない」とも言われていました。

ガラスの天井、ですね。

多くのことに頭を悩ませ、雅子さまは10日間も仕事を休んでおしまいになりました。

そのとき、今上陛下から雅子さまへ、こんな一言が。

皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども…雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。

記者会見で有名になったお言葉です。

12月9日の雅子さまの誕生日には、午前0時にお電話。

お祝いの言葉を贈られました。

陛下の熱意に雅子さまも心を動かされ、ついに結婚を承諾されました。

その時はこんなやり取りがなされたそうです。

「本当に私でよろしいのでしょうか?」

「はい。」

「殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けします。

お受けいたします限りは、殿下にお幸せになっていただけるように、そして、私自身もいい人生だったと振り返られるような人生にできるように努力したいと思います。」

お出会いになられてから6年。

困難を乗り越えて、おふたりは結ばれるはこびとなりました。

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ご成婚から愛子さまお誕生まで

婚約会見が行われたのは1993年1月19日です。

会見後、お二人は各宮家に挨拶に回り、当時の皇后さまから雅子さまへ、皇太后さま(香淳皇后)から受け継がれたルビーの指輪が贈られました。

1993年2月9日、雅子さまは外務省を退職。

3月12日から「お妃教育」がスタートします。

お妃教育とは、婚約者に皇族として必要な知識などを講義するご進講(ごしんこう)のこと。

雅子さまが堪能な語学を省略しても、週に4日のペースで6週間、計50時間のご進講を受けられたそうです。

宮中祭祀、皇室制度や皇室典範・憲法、日本歴史、和歌、書道など。

祭祀と制度関係は親王妃の2倍近い時間がかかりましたが、雅子さまは数十冊のノートを取り、熱心に学ばれたそうです。

そして1993年6月9日、皇居で結婚の儀が行われました。

お二人は皇居から東宮仮御所までの約4.2キロをオープンカーでパレードなさいました。

沿道に詰めかけ多市民は約19万人だったそうです。

結婚の儀はNHKで生中継され、視聴率は30%を超えました。

めでたく結ばれた今上陛下と雅子さまでしたが、結婚後もマスコミの報道がおさまることはありませんでした。

お世継ぎのことです。

次期天皇の子供に全国民の期待が注がれたのです。

1999年12月10日、朝日新聞が雅子さまの懐妊の兆候をスクープしました。

宮内庁は過熱報道の自粛を要請。

けれども、12月末、雅子さまは流産されてしまいました。

宮内庁の古川清東宮大夫らは、ご懐妊が早期から大々的に報道されてしまったことで、雅子さまに心労を与えたとマスコミを批判。

陛下も翌年の誕生日の記者会見で、雅子さまを守る姿勢を示しました。

そこに至る過程で医学的な診断が下る前の非常に不確かな段階で報道がなされ、個人のプライバシーの領域であるはずのこと、あるいは事実でないことが大々的に報道されたことは誠に遺憾であります

そして、2001年12月1日に愛子さまがお誕生なさいました。

プレッシャーがかかる中、結婚から8年余りでの第一子ご誕生です。

雅子さまを守り続けられた天皇陛下!

世継ぎである男児誕生を巡るプレッシャーは依然としてご夫妻にかかり続けました。

そんな重圧からか、雅子さまは次第に公務を休みがちに。

2003年12月3日に帯状疱疹を発症なさいます。

2004年6月には適応障害の診断を受け、療養生活に入ることとなりました。

さまざまなプレッシャーの中で、疲れ切ってしまわれたんですね。

雅子さまが療養に入る1ヶ月前の2004年5月。

今上陛下は記者会見でこんな発言をされました。

この10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、私の見るところ、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。
それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

海外育ちで国際派、これまでの皇族にないものを持っていた雅子さまと、伝統と慣習に厳しい宮内庁との間に、何かあったということですね。

これまで皇族の方がこういった発言をすることがなかったため、「人格否定発言」と呼ばれ、大きな反響を呼びました。

マスコミに追われ、疲弊した雅子さまを守ろうとする今上陛下のお言葉に、私たちは胸を熱くしました。

今上陛下は銀婚式の際に、「結婚十年の折の『努力賞』と『感謝賞』のダブル受賞に加えて、銀婚式にちなんで銀メダルも贈りたい。」と話されました。

雅子さまも、「私が体調を崩しましてからも、皇太子殿下には、いつも優しく、細やかなお心遣いをいただきながら、お助けいただいてきていることに心から感謝申し上げたいと思います」と話されました。

おふたりが歩んでこられた道は、決して平坦ではありませんでした。

「お守りします」というお約束を守り続けてこられた今上陛下。

今上陛下を信じて努めてこられた雅子さま。

まさに夫婦愛の「象徴」でいらっしゃいます。

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今、輝く両陛下!

令和という時代が始まりました。

雅子とともに「令和流」が展開していくことになります。

上皇さまと美智子さまは、おふたりで「平成流」を築いていらっしゃいました。

被災地で膝を折って被災者を励まされ、国内外の戦争の跡地で深く頭を下げられた両陛下。

美智子さまはいつでも、上皇陛下より少し後ろをお歩きになられました。

天皇に即位してからの上皇さまは、美智子さまのことを、「皇后は」という言い方をなさいました。

今上陛下は、皇太子時代の記者会見から一貫して「雅子は」とお呼びになっています。

戦後生まれのおふたりにとっては、自然なことです。

令和の始まった5月1日、NHKは一連の即位の儀を中継するニュースを4時間近くにわたり放送しました。

今上陛下のご友人として、幼稚園から中学まで学習院で一緒に学ばれた立花眞さんが出演していました。

立花さんは、今上陛下について、小さい頃から思いやりがあり優しい方だったと何度も述べました。

やんちゃなことも一緒にした幼少期から、陛下が変わられたのは中学1、2年の頃だったそうです。

「◯◯だ」と言い切っていたお言葉遣いが、「そうであるといいですね」とご希望を述べるようになったそうです。

自分の立場を理解するにつれ、意思表示を和らげるようになられた今上陛下。

けれども、決して和らげなかったのが、雅子さまとのご結婚への意思でした。

断られても、母方の祖父がチッソの経営に関わっていたことが問題になっても、「雅子さんではダメですか」と意思をお伝えになり続けました。

陛下は天皇家の長男として、弟である秋篠宮さまとは違う育て方をされていらっしゃいます。

雅子さまも、双子の妹を持つ姉として、小さい頃からお利口さんでい続けた方だといいます。

その二人が運命的に出会われ、ご結婚。

外務省のキャリア官僚だった雅子さま。

「働く女性の成長を喜ぶ。」と以前に今上陛下は述べられています。

そのご発言が今も貴重に感じられるのは、女性の置かれた状況が変わっていないからなのでしょうね。

「女性活躍担当大臣」という役職があり、「男女雇用機会均等法」という法律があるのですから。

陛下は、キャリアを得た雅子さまを心から愛しておられます。

父である上皇さまが「民間出身」の美智子さまを選んだのと同様、新しい考え方が皇室を動かしたことになります。

プロポーズの時の誓いをずっと守り続ける、そんな素敵な男性が、今の日本にどれくらいいるのでしょうか。

そんな素敵な方が「象徴」である「令和」は、男女の役割や夫婦の在り方を変えていく新しい時代になるのではないでしょうか。

おふたりのお互いへの「愛」が感じられる場面が増えれば、国民の共感も広がっていくはずです。

今上陛下は即位後朝見の儀でも、その2カ月余り前、59歳のお誕生日にも「研鑽(けんさん)」という言葉を繰り返し使っていらっしゃいます。

雅子さまも、55歳のお誕生日に「研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っております」と述べられています。

ほんとうに真面目に国民や世界の事を考えて、励んでいらっしゃる両陛下です。

けれども、おふたりの愛情深いお姿こそが、今国民の手本として求められていると筆者は感じます。

子供の虐待や離婚、大学制度の無理な改革など、小さき者、弱い者への愛情が感じられない昨今。

私たちは両陛下の愛情のお姿に、憧れを感じ続けて参りたいと思います。

日曜THEリアル!『陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語』

天皇陛下の即位をお祝いするパレード「祝賀御列の儀(しゅくがおんれつのぎ)」が予定されている11月10日(日)。

『陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語』が藤生テレビで20時から放送されます。

番組では、皇室に嫁がれた雅子さまのこれまでを、実際のニュース映像を交えてドラマ化。

雅子さまの物語をドラマ化するのは、もちろん初めてです。

外務省を退職し、皇室に入った雅子さまが直面された現実。

お世継ぎへの期待が高まる中で体調を崩し、適応障害と診断され長い療養に入られた雅子さまの本当のお姿が、ドラマによって明らかになるそうです。

ドラマの主演は、美村里江さん。

雅子さまをご成婚当時から長年取材する雑誌「週刊チェイス」記者・栗島梓の24歳から50歳までを演じます。

【追記】雅子さまが涙!嵐の奉祝曲にみんなが感動!

2019年11月9日、ご即位を祝う国民祝典。

今上陛下と雅子さまもお出ましになりました。

話題の嵐の奉祝曲『Ray of Water』をお聞きになり、涙ぐむ雅子さまが素敵すぎでした。

もらい泣きした女子、多数だったと思います。

画像を載せさせていただきます。

令和は、きっと愛に満ちた時代になります!

愛子さまの記事など、書かせて頂いております。

よろしければお立寄りください。

愛子さまの現在2019!偏差値72で学習院大国際社会学部にご進学?

愛子さま2019の真実裏と悠仁さまの目つき!女性天皇の選択肢ない?

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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